思想を「押し付ける」群衆

自己中心的で自由な一言

ゲームくらいは「ヒーロー」「ヒロイン」イケメンや美女でいさせろ。

空いた時間に現実逃避で「遊ぶもの」なのだから、私の好きにさせろ。

以前にも少し触れたが日本ではまだ少ない「ポリティカル・コレクトネス」である。

私は久々にゲーム機を買い「やっぱり面白いな」と思いゲーム情報を趣味程度で集めているが、どうしても目に入るので不快で気分が悪い。

「違和感」で観に行かなくなった映画も映像も海外勢はこれに侵食されているのは気に食わない。

「進化した」きれいなゲーム画像にブスやデブを持ち出されて、夢や憧れもあったもんではない。

「差別偏見をなくす」そりゃ結構なことだがこうやって「政治的」になってしまったことで反発を買うことぐらいわからないほどに人の能力は落ちていることに気が付く。

頭から「力」押さえつけたら、何も言えなくなる。

私には世界的に行っているパワーハラスメントにしか感じない。

こうしてゲーム情報を集めるたびに私の心の隅に眠る怒れる獅子がこぶしを振り上げるわけだが、これに関しては沸点が低くあきれるときもある。

普段から「小さいことの積み重ねが自信になる」とかほざいてはいるが、そんな小さな怒りの積み重ねはいらない。

私にとって「不快でつまらない」コンテンツは「排除」の対象でそれを「押し付けてくる」連中はテロリスト。

近づくな。

そう思っていても放置してやられてばかりでは「相手がつけあがる」という考えなので私は私の土俵を作り対抗する。

賢い人間は「相手にしない」という選択を取ることぐらいは分かるが、火に油を注いで爆炎上するくらいに揉めたい。

私は私の嫌いに自信を持つ。

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