青春の「後押し」

自己中心的で自由な一言

好みはいろいろだが私は流行の曲も聴く。

その歌詞たちは私に力をくれる理由がわかる。

そのほとんどが「応援歌」なのだ。

私には「青春」を語るような甘酸っぱい思い出はないが「夢」にひたすら向かっていた時期を思い出しながら気に入った曲をリピートする。

変人と思われるのはこのせいでもあるが私にとって「変人」は「誉め言葉」なので問題ない。

その「青春の後押し」を味わいながら今日も新曲を聞き漁り「お気に入り」に振り分ける。

私が10歳代に来た曲は主に「物語」情景を思い浮かべられるようなストーリー性がある歌詞が多かった。

見たこともない景色が私に「現実と光」を与えてくれた。愛や恋の歌も多かった。

それはそれで「素敵で大切な思い出」を与えてくれたストーリーテラーような存在。

こんな私の背中をまだ押してくれている。

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それなりに長く生きた分だけ音楽に触れてきた時間があった。

これだけ「元気」「勇気」や「慰め」「癒し」を貰ってきたのに私は何も返していないし引き継げていないことに気が付く。

「それも素晴らしい生き方」なはずなのに私は欲張りだ。

まだ欲しがるのか。

今日日の「応援歌」は力強い。

「若さとスピード」には到底かなわないくせにそこにある「高み」へ手を伸ばそうとする私をけん制することもなく「生きている限り、やれ」と言ってくる。

それが思い違いでも何でもよい。

私は頂いた歌たちとともに「やる」だけだ。

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