それは分かる。
なぜなら私は小学生の時「いじめはダメ」といって大小構わず女子に「不快な関わり方」をする男子を止めて「いじめ」られた。
そして大きくなってそれが男子が好きな子に対する「ちょっかい」「気を引く行動」と知ってからも納得はいかなかった。
「コミュニケーションの一つ」だといわれても私は納得いっていない。
いまでも歯をぎりぎりすることがあるくらいなのだから、むしろ誰が納得いったか教えて欲しいほどだ。
そんな男子の行動が「可愛い」と思っている連中など滅びれば良いといまだに思う。
「いじめはダメ」
「時と場合と言い方」を選ばなかったから私は高校卒業するまで男子に「いじめ」られたのか。
いまだにそれを止めると「正義感ぶって」だの「いい子ちゃん」「偽善者」だの揶揄される。
たった一言の「正論」なはずなのに馬鹿にされる。
もうそれが「文化」のように根付いてしまったように。
「いじめは犯罪」といって行動している人たちも多くなってきた時代でもあり前進してきたとは思っているが、私はその「風潮」がある限りイコールにつなげてその「正義感」を馬鹿にすることは続くと思う。
今の私は「正しい行動」はしていないし「順風満帆の人生」ではないから「正しさ」「正義」追い求めてはいない。
それを「貫き」通せなかった私の「弱さ」も含めて私自身とも直面していきたい。
あるエッセイを見て「ああここにも私と同じようなことを経験した人がいる」と思って書き記している。
高校卒業真近の「三年生を送る会」みたいなもので体育館で全校生徒を集め「思い出のスライド」で私が机に伏せている写真が出され一部の心ない人間たちの集団に大爆笑された。
いま思えばあれは「わざと」だったのだろう。
私はその直後すぐに立ち上がり体育館を出、もらった一輪の祝いの花を廊下に叩きつけて帰った。
やっと今、言葉にして残せる。
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