サラリー時代、私は「働いてる自分」が好きだった。
それ以前に私は「アルバイト」でも仕事に「プロ意識」を持つことは大事だと思っていたから、ひたすら真面目に「仕事」と向き合った。
性格もあるだろうが、それが大半の私をダメにする行為だったことに気が付くのは、ずっとあと。
現在では見抜かれている人には見抜かれてしまっているが「若いころのプロ意識」のおかげで締めるところは締めているから自分の言うのもなんだが傍目には気づかれにくい。
その「線引き」は私の「独自の判断」で今は10から20パーセントぐらいっで良いと思っている。
「時給以上の仕事しない」という「自分への決め事」によって言うこともできるし「危険信号」がでる作業にもノーと言える。
いまでもあの時代は何だったのかと、円形脱毛症になるアルバイトまでやって何だったのかと何度も思う。
産まれながらの馬鹿はこれだから嫌だ。
今も決して賢くはない。
ただ地道に生きることをやっと覚えた「自称・覚醒者」なのである。
そんなことは高校卒業とともに工場勤めした同期が当たり前にやっていることで周回遅れ以上もほども度も過ぎて「のんき」なものだ。
生きてこられたのはたまたま「楽観的」というスキルが生まれ持って1ぐらい持っていただけの話。
あれだけ死ぬ思いをしてきたのに「そのたった1しかない」スキルに頼ってきたのだ。
その1に「仕事」のすべてを乗せてしまっていた。
当然「頭でっかち」になり頑なになる。
いまもそんな風になりそうだなという雰囲気に過去の経験を否応なく思い出させてブレーキをかけていく。
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