好きにすればいいじゃん

自己中心的で自由な一言

私はユーチューブをよく観る。

画面の向こう側のほとんどが所詮「他人ごと」

その「他人ごと」の他人のプライベートな時間を観て泣いて笑って怒っていたりする。

見逃せない事実もあるから見落としてはいけないとも感じるし、見誤って解釈もしてはならないときもあるからだ。

ほとんどの動画は「娯楽」で作られているもののほうが多いのだから「真面目」に考えなくてもよい話なんだろう。

そして再生数が多ければ多いほど「こちら側」が求めているものがあるには違いないのだ。

私の観る動画は「決まっていない」

もちろん面白いと思うチャンネルは登録してあるが、それは「本のまとめ」「自己啓発」「お金」「ゲーム実況や紹介」「ゆっくり」「アニメ」「モノつくり」「文字おこし」に「心霊」「吹き替え」「バラエティー」「大食い」「ニュース速報」「病気」等など無法地帯。

興味の触手が動いたらインスピレーション脳みそが刺激を受けたら観ている。

そして最高に「時間の無駄」と言われる時を過ごす。

「ダイエット」なんて永遠のテーマみたいなものも観たりするが、あの中でも美容体重超えて病的に痩せている人が「痩せる」って紹介する動画のコメント欄見ると皆心配している声が上がっていると感じることがある。

「この人の好きにすればいいじゃん」

私も過去そうだが若いころなんて他人の言うことなんて聞かない。歳を取ったらもっと聞かない。

「夢目標」「恋愛結婚」とか盲目になって益々、聞かない。

自分の好きな恰好や髪型が「変」と指摘されても変えるか?

表現が乏しくて暴力的に「いっしょくた」にしてしまって言い方は適切ではないな。

活動家や難民、政治家が人の話を聞くのか?といえば「別の話」としてしまうのと同じくらい「無意味」なんだろうな。

その場の「感情論」は「個人」には有効なのだろうが「集団団体」には無効とか勝手都合がいいな。

私は過去「人の話を聞かない」ことで後悔しているからであり「人の話を聞きすぎ」て身心共に壊れたから上手い具合に収まるところを未だ知らない。

こんなことをああだこうだしながら思いつつ、そんな難しいことを考えずに「私も好きに言ったりすることにすればよいじゃん」とまとめ上げる。

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