万人に好かれなくてもよい。
この言葉は私を救った。救ったというより本来の私を思い出させてくれた。
若いころは若いなりに尖がって生きてきたものだが、その尖りは簡単にへし折れるものだった。
物理的にも精神的にも暴力というのは「人としての尊厳」を簡単に奪う。
本物の馬鹿はそれにさえ、しがみつく。
あの「狂人の一年」は今でも私を壊し続けているし恨みつらみを抱え私を暴力的にする起爆剤のスイッチだ。
私の根拠ない自信は軽やかに壊された瞬間を今でも思い出すと腹立たしい。
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「過去」のことなんてどうにもならないし忘れろなんて簡単に吐く連中が嫌いだ。
その「過去」が今でも私を苦しめ続けその場で地団駄踏んでいるだけなのかもしれないが「前へ進む」という「怒りの推進力」
「見返してやる」なんて崇高で気高く情熱に満ち溢れたものではない。
ただ泥の沼に向かっている気狂いが大声で叫びながら両手に爆弾をもって走っているだけなのだ。
毎日を限界ギリギリで生きている。
病める時も健やかなる時も私の中に薄ら笑いをした鬼のような奴がいる。
私はそいつを抱きしめて毎日を過ごし、これこそ「死が二人を別つまで」添い遂げていく。
根が深い恨みを持ち合わせているものだから今でも他人に嫌われる要素を持ち合わせている自覚はある。
私の人生はこんなもので今はほんの少し楽しい。
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