目の前で時々大げさにに広げられる「年寄劇場」は私も「行く道」ながら呆れる。
道を聞いていた老夫婦の女性がタクシーの運転手に「バス停」の場所を聞いて「その道を曲がったところに」とまで案内されていたのを見えていた。
方向が同じなのでその老夫婦の後ろを歩くとまた女性のほうがやんややんや騒ぎ始めている。すると私を見つけて「バス停はどこだ」と聞いてくる。
いまほんの少し前にタクシーの運転手に道案内され指さして言われてたよね。
私は横断歩道を渡ってあそこだと指さす。老眼はあるだろうと思うがもうバス停は見えている。
はいはいと言いながらバス停に向かう老夫婦の女性は「違う。ここじゃないどこだ」まあ横柄である。
ここは観光地とはいえバスの本数も少ないしバス停も道なりにしかない。
面倒だから大通りを指さし「あっち」と答えた。
案内すればなんてことは私の思考からすでに頭から吹っ飛ぶ。この道いけば同じ路線のバス停があるから。
「ありがとう」もいえないなんて傲慢すぎるだろ。言える人はきちんと言えるし私も気持ちよく案内するよ。
こういうところが年寄が嫌われる要素なんだなと改めて感じた。
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私ももう初老だし身体もうまく動かない。
横柄な態度を無意識にとっているのかもしれない。
人に手を差し伸べられたら手を取ったことも忘れ感謝をきちんとしていないかもしれない。
「あんな風には絶対になりたくない」
そんなことを思って心に誓ったつもりでも私は「感謝の言葉を言えない父の子供」であり「天邪鬼でひねくれた言葉を吐く母の子供」だ。
いつかはああなってしまうのかと寒気がする。
良いところもあった両親のはずなのに全くそれが感じ取れず見えなくなってしまった私は、もう手遅れなのかもしれない。
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