目の前の「幸運」

ほとんど毎日

「宝くじ当てて悠々自適に暮らしたい」

そんなことも今でも思っている。

「お金」が欲しいことは悪でも何でもなくすごく「まとも」で分かりきっていること。

「お金」のことを口に出すのは「美徳」と思わないこの国の洗脳に惑わされて読み違えば私のように若いころは借金地獄になるわけだ。

そんなこんなで身体もだんだん思うように動かなくなり食事も制限され始めたが、少しだけ分かってくることがある。

「目の前のお寿司が食べたいとき迷わず買える経済力が欲しい」

いまは月一回の「決まり」があるが購入できている。

まだまだそんな経済力に達していないことになるが強がりを言えばそのお寿司は「お魚屋さんのすごく良い高めのお持ち帰りのパック寿司」なので満足できている。

これが毎日とは言わず週一に食べたいとは思う。

だがそんな中でも毎日の食事の中で「社食」を休み以外は1日1回食べるわけだがお財布に本当に優しい低額で食べれる。

種類に贅沢は言えないがメインが「お魚の日」はラッキーだし副菜に「魚」があると気持ちが上がる。

一人暮らしのメニューだとどうしても「魚」メインの食事には私は面倒でしにくいからだ。

こういう幸運がよいんだ。

やっとそう思えるようになったのかここ数年だが、私はまだまだ欲望が前に強くでてくるから忘れてしまう。

いつになったらその「幸運」の積み重ねができるのかと思って歩いていると100円拾ったのでまたラッキーと思って前に歩き出す。

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