「目の付け所」が全く違う

自己中心的で自由な一言

どこぞの法人とかどこぞの活動家とかは「集団行動で圧力」と「詭弁が経つ」から怖いのである。

やばいから関わりたくない。

そもそも現実を見ていない。見えていない。見ようとしていない。

一部の名立たる配信者や有名人の「例え話」が的を得ていない。

他の国のことを論って我慢しろとでもいうのか、殺されないだけまだ良いとかいうのか。

「大きな視野を持て」というのは世界と比べてではないのだ。

今、目の前の「現実」が死ねと言っているのが気が付かないのか。

高い所から発言している連中は、恵まれた環境を掴むのは自分次第と平気で嘯く。

私とて他責にしたくなくても現実の経済状況は「政治」のせいでかつかつだ。

それからなんとか這い上がろうとしようとして何度もチャレンジしてもその隙を狙ってくる連中に怒りが込みあがる。

怒りは確かに目を曇らすがそれは一時的なもので「救い」の糸口をなんとか探そうともがいているのに踏みつぶす政治に声を上げているだけなのだ。

なぜそこまで言われなければならないのか理解が出来ないこともある。

尊厳と命が奪われる「良い国」言っている連中など信用できるか。

飛躍した話が好きな連中は命が危険にさらされていなから、そう言えるのだ。

限りある時間に私は外の世界にいつも憤り心が休まらない。

感情的になるのは良くも悪くも私を動かす。

 

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