嫌いだからと言って閉ざす訳ではない

自己中心的で自由な一言

有名人でも「人となり」が嫌いであっても生理的に無理だと思っても、腰を据えて時間をかけて見ると「嫌い」な部分はあっても「面白い」ものである。

今でもすべてをシャットダウンしてしまうことはあるし、拒否してしまうことはある。

関わらなくなるとそれはそれで私には「安全」なもので冷静になり少しは余裕が出来る。

人間性に問題があるのは「政治屋」と「犯罪者」であり最も嫌うべき対象。とうの昔に司法もぶっ壊れていることが理解できていたが現在はすさまじく酷く腐っているので「嫌い」の対象で良い。

ああ、ついでに言えば馬鹿げた思想を押し付ける活動家や法人活動しているテロリストと変わらない類も嫌いだね。

だからと言って目を離すわけではない。

好き勝手やらせていると他文化を犯す血筋なのか盗用し我儘に生きる輩は「私たちが正しい」といってきかない。

己の正義を貫くならまたそれも他人の正義で刺されるのだ。

幼いころからの「いじめはダメだ」と立ち向かっていったが、あいつらも「いじめは仕方がないことだ」と自身の正義を振りかざしてくる。

正しいことのすり替えがここにきて世の中を法律で狂わすことになるとは思ってみなかった時代。

だからこそ「嫌いない相手」を怒りながらも観察する。

これ以上私の目を曇らすことはしたくないから自身の目でしっかりと見届け賢くもない私の言葉で戦っていこうと決めている。

悔しくて苦しい日もあるが一人で向かっているわけではないと気が付いているので、私は希望を持ち続けたい。

あなた次第でこの世界は素晴らしい場所になる

新品価格
¥1,760から
(2024/5/26 17:01時点)

コメント

タイトルとURLをコピーしました