それは私の使う言葉にある。
「やるべき」「成すべき」「行うべき」のべきべき論者。
あと私を卑下する言葉。
私は「劣った生き者」だということから抜けだせていない。
気がついてはいたが治す気はないらしい。私自身に自然に重しをかけていく。
馬鹿と惰性はこうして出来上がるので「楽」な道を選ぶ。
ひとつの場所に停滞し始めるとどんどんその「くぼみ」に膿みたいな臭いものが溜まり始め「さらう」ことも忘れて無法地帯になり異臭を放っていることさえ気が付かない。
毎日「新しい発見」に気使っていればほんの小さなことにも刺激があり物語が広がるはずなのに、普段のイライラに私の「すべて」を集めているから「気づき」さえもすぐ忘れる。
これではダメだの繰り返し。
気が付いているだけまだいっかの繰り返し。
それが歳を取ればどんどんと忘れていくというのに私はまだそこにいるつもりなのか。
何度でも何度でも諦めないようにしているのも「私」なのに、一生足を引っ張るのは「私」だ。
せめて海が見えるこの場所で、私の気持ちを大きく変えたこの場所でもういちどあの時の快感を取り戻したい。
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