聞こえない打撃

ほとんど毎日

知識をつければ「私はこれかも、あのときこうだったかも」と気が付くことがある。

「お金」がなく貧乏だと心まで貧困になり余裕がなく「まとも」な判断が出来なかったあの時。

「私がいなければ仕事が回らない」なんてのは世間に定着した害悪に影響しただけで私が繊細で感受性が豊かなだけ。

私はずっと「聴力に問題がなくて言葉が聞こえずらい」ことに悩んでいたが数年前そういった障害が世の中にあることを知った。

もちろん何回か何年も病院にも行ったがそういう診断は下されていないうえでの自己判断だ。

私には病院で診断されていない症状がいくつもある。

プロでも資格もちでもない私がそうするのはとても「危険」だということも知っている。

「自分を救うのは自分自身」とその起点に戻ってしまい、人を頼れなくなってしまう。

起因はいくらでもあるのだろうが、そのほとんどの原因は知っているし自分で無意識に探し続けている。

なぜなら「収まるところに収めたい」という気持ちが強いからだ。

収まるところに納まっても安定せずグラグラするのに、まだそうする理由は何か。

私がそういう人間だからだ。

それが私だからだ。

私はやっとそう思えるようになってきた。

まだまだ「弱さ」を認めていないプライドがお高い自分が恨めしい時もあるが「これが私」と胸を張れる日がやってきたのは誇らしい。

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