夢は寝てみるものだと気が付いたら重荷になる

長文

これはあくまで私の結果論だ。

この世の中に夢をかかげ叶える人間は多くいるし、それは素晴らしいと思う。

今は叶える手段と選択肢は大きく変わり多くなった。それを上手に使える者こそチャンスは広がる時代だ。

私は17歳の時、漫画家になろうと決め高校を卒業して関東に就職した。

夢見る若者は期待と不安を胸に社会に出る。

初めての一人暮らし、会社の寮であれ個別にしっかりしたところだったのでプライベートもしっかりと守られていた。しかも寮費は格安、電気料金以外は会社持ちという好物件だ。

仕事は重労働もあり椎間板ヘルニアもやったが気持ちは充実していた。

しかし漫画を描いた記憶がほとんどない。絵は毎日描いていたがそれは漫画ではなくただひたすらスケッチブック、クロッキーブックに絵を描く作業だった。

田舎者は関東に出てきたことで、狂った自制の利かないアホな生き物になっていた。

石の上にも3年。夏のボーナスをもらいその会社は辞めました。

夏前に引っ越しが終わり、すぐには仕事は探さなかった。集中して漫画を描いた。

今のように、デジタルの時代ではない。製図用インク、墨汁、丸ペンGペン、専用の原稿用紙があったのはありがたかった。スクリーントーンも田舎と違って手に入りやすかった。

漫画を描きまくって一つの出版社に決めて送りまくった。31ページを一人で書き上げるのは何とも言えない達成感があった。

右も左もわからない。ただひたすら行動した。漫画家になるために。

アシスタント募集で一度だけ漫画家さんのところへ行った覚えがある。ただそれは本当に恐怖で一日で逃げ出した。

働いていなかったのでお金は減っていくアルバイトを探し始めたころに人に騙され本当の地獄に落ちた。

漫画に関してはそこで終わりだ。

まったく描けなくなったのだ。何もアイデアも浮かばなくなった。

それでもその地獄で行きていくためだったのだろう。自分で唯一信じた決めた道だったのでしがみついた。絵だけは描いていたが、ストーリーは本当に描けなくなっていた。

そしてそれを脱出するために、借金を重ね風呂なしアパートへ引っ越した。

風呂なしアパートで借金暮らしをしながら漫画を描こうとした。やはり何も書けなかった。絵だけは描いていた。

そして一つ決断をした。25歳までデビューできなかったらもうやめよう。

ますます何も描けなくなった。そして終わった。自分で見切りをつけ終わらせたのだ。

なんの解決策も進む道も見いだせなかった。

あれから何十年もたった。

世の中の仕組みがわかり、インターネットも盛んになり趣味でもよいから「漫画を描いていこう」と何度もスケッチブックや白ノートを購入して書き始めたが、続くことはなかった。

いまでもやはり心残りではある。だが絵を描こうとするともう手が震えるのだ。時々吐き気もする恐怖になってしまった。

これが私の心の重荷の正体だ。いつまでもいつまでもこれが泥沼に沈んでいる。

単純に行動を起こし衝動にかられ、後先考えず他人の評価など気にせず黒歴史を刻むように世間様に発表すればいいことなのにそれができなくなっている。

本当はやってみたいことがあるのに、何もできなくなっていく。

これからもこの重荷を捨てたいはずなのにまだ持ち歩いていくだろう。

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