踏み外す「日常」

ほとんど毎日

人はいつか死ぬ。

死んだら楽になる。

「命のやり取り」を中途半端に目の当たりにてきたせいか、ひょんなところは「身の程をわきまえない」私がいて「死」に直結するような判断は振り切ってしまうことがあり、自分を本当に大切に出来ないのはこれなのかとも感じた。

世の中にはもっと身近に「死」を感じる場所があるのに撫でただけで良い気になっているのでは、いつか本当の危険な場面にになっとき「死」を簡単に選んでしまうだろう。

そうでなくても私はなんとなく日頃から「死」を選択してしまっている。

「生命線」はいつだって私を振り落とす準備は出来ている。

「どうでもよい」と思っている毎日があるようでは私はまだまだ「私」を大事に出来ないんだろうな。

「どうせ」とかまだ心底にこびりついているようでは「好きなこと」も本気で楽しめないんだろうな。

なんとかしたいとは思っていても思っているだけで何事もいつも通り。

「いつか死んでしまうのだから」に「諦め」を乗せてしまっているのかしれない。

今日もまた気分が落ち込んでしまったが就業時間になればプログラムされたように動くだろうし、お腹が空けばご飯を食べ眠たければ寝る。

自然に「生きよう」としていることだけは一人前で出来ているんだから、そこに目を向けてはどうだろうか。

そんなことを感じていても「私にできるだろうか」とまた疑問に思う。

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