見当たらない「尊敬する人」

ほとんど毎日

私の「尊敬」とは軽率に会話の端々で使い過ぎた面もある。

「憧れの人」とは違う。

それは山ほどいるのに「土下座してでも教えを乞いたい」という人がいない。

小学校の作文でそんな課題も出た気がするが覚えていない。覚えていないということは無理やり生み出して作ったものだろう。そんな時代だ。

特に「父か母」なんて尊敬に値する人かと問われば、いまだよくわからない。

優しい父だった時も優しい母だった記憶もある。

毒というには表現がし難しい。

理想の家族を作ろうとして興味のないものを押し付けた父。なんだかわからない宗教染みたものにハマってその販売ノルマ本が部屋いっぱいになっている母。

まだまだ思っていることはあるが「私を夢を応援せず認めなかった二人」ではあることは確かだ。

これから出会えるのだろうか。

何もかも捨てて「この人の弟子になりたい」とか思う日が来るのだろうか。

むしろこの年齢では逆ではないのか。

今からでも私の「理想の人」になって尊敬される人になることなのではないだろうかと頭をよぎる。

欲しがることは向上心にもつながるが私にとっては足を引っ張る欲望になりかねない。

そして私はそういう類の人間ではない。

いつまでたっても堅苦しく型にはめようとしているから前に進まないし荷物を多くしている。

子供の頃みたいに「あんな人になりたい」って素直にでてこないのかね。

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