私が夢見がちな文章を並べているのは、まあだいたい「現実」直視していない。
私という馬鹿は「現実」をみるレベルに達していない馬鹿なのだ。
そういう側面の私を見ていると悲しいというより不思議に思う。
なぜあれだけの「現実」をいろいろ体験してきたのに、今が見えていないのだろうかと。
「蓋」をしていることは確かだが「見えていない」わけではない。
「見ようとしていない」ことは分かるが「なかったこと」にはできない。
「見ないふり」をしているのは「弱い」からと言われれば否定はしない。

今日も相変わらず心を閉ざし陰険なまなざしで世の中を見ている。
目の前の「現実」だけをまずは見ていけば良いものを度量に合わず「広い視野」を持とうとして「空回り」を繰り返し引きこもる。
毎回「どうとでもなれ」と投げやりなってしまうのは「現実」があまりにも苦しくてとかではない。
面倒くさいと逃げているだけなのだ。
傲慢な私ばかりが大きくなり堂々と座っているのは「はだかの王様」どころか誰にも見向きもされないただの馬鹿。
この馬鹿に磨きをかけたほうがむしろ生きやすいのかもしれない。
そう思うと光が見える。
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