世にいう「キラキラドキュンネーム」の話である。
最近はちっとも驚かなくなってきた。
馬鹿は馬鹿のまま放っておけという気持ちもあったし所詮「他人の子供」
そして馬鹿は量産されやすいということを知ったし「馬鹿の増量キャンペーン中」に巻き込まれないとして必死だ。
そうして時代は流れ「数には勝てない」ということを結局「当たり前」にしてしまったのだろうなと感じる。

私は子を持つことは出来なかったが、それを批判されることは身内だけだったし表立って他人から言われたことの記憶は少ない。
産まなかった私に何が解るんだろうか。
だから子供に「世界に一つだけの名前」を付ける意味は経験則では判らない。
もし子供を産んでいたらなんて想像もしたこともあったが今では記憶の片隅に置いているだけで「夢の末路」
すでに周りは親並みの年齢の人間もいるが孫みたいなのもいる。
キラキラドキュンネームに出会う数も増えてきた。
そして私もこの年齢で当時にしては「はいから」というか中々ない使わない呼び名で漢字でもあるので、なんとなく伏せておきたい。
人のことは言えない。
これに尽きる。
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