低能のくせに様々な「方法論」を試してやった気になる私。
いわゆる「メゾット馬鹿」は「自身向上」とかいってはいるが左右にブレていて全く上昇していないのに「日々チャレンジしている私すごい」という偽物に憑りつかれている。
まあ何もやらないより刺激があって良いのだが、ある側面では「勘違い馬鹿」であり自惚れているのだ。
そんなのでも進む力だと思って動き出しているうちは「まだマシ」でただ単純に後ろから追いかけてくる「過去の私」になりたくないだけのマラソンだ。
あいつにだけはなりたくない。

将来の私。
若いころのようにはいかなくなった身体で何を夢見て想像したら良いのか正直言って判らない。
お金は欲しいし苦労せず楽して生きたい。
それは間違いなく根底にあるが「道筋」を作ることが苦手な私は手当たり次第にやり過ぎて見失ってしまっている。
私特有の楽観的な解釈が「真剣さ」を不足させている。
いままでどうにかなったんだから、これからもどうにかなるさと「楽して生きようとする」私がささやく。
それは「手助け」してくれた人がいたから何とかなっただけなのにね。
これからはその手がだんだんと無くなっていく。もっと前は気が付いていたが「気づかないふり」をまたしていた。
余計なこの先の不安ばかり考え息切れがしてくるが「詰めが甘い」私に何か指針になるものが欲しい。
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