「つぶやく」のは基本自由なのだからなんでもよい。
店員や従業員に「ありがとう」の言葉を言うのを馬鹿にするのは昔から一定数いた。
SNSのおかげで可視化されてきて毎度のごとく世が騒ぐ。
言う方も言われる方も第三者もつぶやくものだからSNS上では「合戦ののろし」があがる。
「言葉で人が死ぬ」ということが解っていても人間は争うことは止めない生き者なのだ。
結論は「人それぞれ」なはずなのに、とことんやりあっても永遠に出ない答えを論争しているのは、まだ私たちは「人間は良いものであってほしい」という性善説を信じていたいからなのだとも思う。

私だって人間の「優しさ」を信じていたい。
裏切られても「そうであってほしい」というのは浅はかな考えだっていうことも知っているし「押し付けがましい」のだ。
悲しい事実ばかりが目の前に転がる現代に「人間を信じる」という光を見出すことはいけないことだろうか。
全てでなく、ほんの少しだけ自分の心の扉が開けば「見える景色が違う」ことだって知っているのなら、その両方をもって踏ん張り立っていたいときもある。
泣いてでも悔しくても苦しくても。
この国の未来は今まで以上に暗く険しいものになるかもしれないが、私は死ぬまで「ありがとう」と何度言えるのだろうと思う。
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