仏への道

ほとんど毎日

人間は神にはなれないが「仏」にはなる。

このブログの一番最初の記事の題名を見返し、今でもそう思いながら淡々と「命」の時間を進める。

生きている限り「死」は免れることのない最後の経験だ。

死ぬまでは楽しんだり悲しんだり、私の好きに使ってよいはずなのに納得のいく瞬間が所々にあっても長時間を喜びに浸っていることがない。

そして「仏への道」は「釈迦ブッタの教えの道」だと本を読み漁るが、どうも私には半分くらい「合わない」

説法も講話もピンとこないからといって迷走しているわけでなく「私を信じる」ことの力がますます強くなる。

それが正しいのか間違っているのかと分けると私の中では混乱が生まれるので「それでよし」と締めくくる。

上手い具合にまとめようとして言葉を探し続ける。

そんな中で気が付くのはいろいろあるが最終「生きるのに向いていない」にまとめ安心の棚に収める。

それでもこうやって生きてきたのには理由はなくても「死にたくなかった私」がいるからだ。

私の弱さや馬鹿さは私のもので誰のものでもない。

だから上下左右に揺れ前後ナナメにブレても「私は私」を強めていく。

なんでもかんでも前向きに美しい言葉で飾れないが、そんなに卑下して泥だらけにならなくても良い。

出来もしない限定した考えに襲われ気持ちの重さが増すときもあるが「それはそれ」で良いのだ。

そうして今の季節は「食欲の神」に支配され身と心を満たす修行に入っているわけだが、総じてそれは「甘えの神」同時に降臨して堕落を生んでいるが「それはそれ」で楽しむことにする。

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