不義理な命

ほとんど毎日

友人知人も少なく親兄弟親戚とも付き合いは一部を除いてほぼ無い。

私自身だいぶそういうことに関しては「不義理」なことを多くしてきたので、これから友人知人を望むことは大きな「間違い」であり「やってはいけない」ことのひとつにはいる。

今では人を選んで「私なりに」きちんとした「おつきあい」はさせて頂いている人たちはいるが「連絡を密に取り合う」なんてのは、まあない。

それでも今は可もなく不可もなく「丁度良い」距離を保った人間関係が一部あるおかげでなんとか過ごせているのだろう。

相手に感謝し、私のそういった成長に自画自賛し「やっと人の血が流れている」感じがしている。

それでも過去は酷いことをしてきたと自覚があるのでまともな死を望んではいない。

これから過去のその知人友人たちを探して謝罪しても「自分が楽になりたいだけ」のものになんの価値があるのか。

犯罪者と同じレベルの思考でいては私の馬鹿さ加減はいつまでたっても落ちたまま。

だた「今現在」頼られたら「お金」は限度があるが手は差し伸べるし、範囲も狭く限定ではあるが勤め先も紹介できる。

少なくても私自身にもそういったことができるようになった。

それが常に準備できている状態というのは「自信」がついてきたのもあるが、やはり「行動の先」にあるものだと気が付く。

なんでもかんでもむやみやたらに手を出すこともあるが冷静にはなってきているので今までとは違う「経験」重ねていると実感できている。

遅くても私は私なりの進み方で良かったんだな。

償うことが出来ないとしても、少なくても次にはつなげられるようにはなってきたのかなと思う。

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