つくづく実感するのは「私は人といることが苦痛」ということだ。
毎日何かしらの小骨が引っかかる思いをする。
別に大したことでないと思え丸のみするまでその小骨はいつまでも引っかかっていて、その後も違和感をずっとそこにあり続ける。
世の中そんなものだ。
気の合う友人知人相手でも「嫌い」なところはあったはずなのに、いつもそれを忘れるのはそれ以上の「好き」があるからだ。
だけどお互い「言えなかったこと」を喉の奥にしまって生きていくから上手くいくのだ。
好き勝手やっては生きてはいけない。
人は一人で生きてはいけないとも実感しているかだ。
そんなことを思いながら他人との対話に注意をし一歩下がる。

嬉しい想いも悲しい想いも「対話」によって生まれることだってある。
「会話」によってストレスは軽減されることも出来ているし誰かと時間を共有しながら過ごすのも「気持ち良い」思い出にもなる。
すべての人と手と手をつないでみんな仲良くしていくことは出来ないが「おしゃべり」が出来る相手とは最低限表面的でも友好的でいたいとは思う。
まま「会話のキャッチボール」が出来ない人といるのは本当に苦痛だが、相手もそれを思っていることだから難しく考えることはないだろう。
しっかりと「嫌い」を確認していればよい。
過去の私は「日常会話」というのは難しくて苦痛だった。
それは「知識」がなくて馬鹿だったからに過ぎない。
あらゆる場面を拾うことは出来ないし相手の言いたいことは全て察知は出来ないが「私なり」に良くやれていると思う。
わからなことはわからない。
知らないことは知らない。
そうはっきり伝えるだけでまた会話はスムーズにすすむのだ。
等身大の自分でいれば自ずと答えは出てくるって本当だなとやっとこの年齢になってから解かった。
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