「若い時の苦労は買ってでもせよ」
私はこの受け捉え方を間違えた。
ただ周囲の人にに好かれたいために良い人でいたいために沈黙を貫いた。
優しい人と良く言われた。
だが私は気が付いた。
「優しい」のでなく、そうしているほうが「楽」だからだ。
生きていればどうしても他人との確執は生まれる。
どちらか「我慢」することで成り立つ人間関係は多い。
私は無意識にそれを選んでいただけなのだ。
相手に対して疑問かわだかまりを残すような「とげ」のある言葉を我慢する。
反論や意見を言うことは疲れる。
私さえ我慢していればという気持ちは無くても日墓生活の一部になるまで身についていった。
相手に対して何もしない方が楽。
争いを避けているほうが楽。
受け入れていれば楽。
流されていることの方が楽。
何もせずただ他人の言うことを聞いていれば楽。
だから優しいのではない。
その地獄にいる方が楽。

こんなことに気が付いたのはやはり今現在の「人間関係」にある。
私の本質は「誰も信じない」ことだが「人は一人で生きられない」という結論はある。その答えは十分に身に染みて知っている。
衣食住がしっかりして一人なら何とか生きていける状況は「幸せ」を気が付かせてくれるが、この緩くて甘い現在の生き方はまだ地獄にいるのだ。
極端すぎる考えだがこれが一つな答えとしてしっくりくる。
そして身体の重みは幸せの重みでなくただ地獄に寄り添った重みだ。
楽してしまった結果が病気に繋がった。
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