ただよう時間の波と継ぎ目

ほとんど毎日

「これからを生きる」

なんて見え透いた綺麗ごとを掲げながら私は「今」を生きている。

自分につく「嘘」と「見栄」は時には動力になり身体を前に押し出す。

やるべきことを全力ではやってはいないが、まあまあ満足しているというエリアで安全に楽しみ生きていることは私の「帰る場所」のひとつだ。

それを作れただけでも私は私の階段を一歩上がれたと思う。

残された時間はどこまで続くかわからない。

そんな不安と共に生きれているのは「私自身」を見つけ出した証拠だ。

多くある選択肢の中で腐った果実を選び続けたような生き方「全部」に決別することは出来ないが私は私なりの道を進み続けている。

選んだ甘そうな果実からの「とげ」は時々周囲からも私からも出てくるが、この年齢になってやっと学ぶことの方が多い。

どうしようもないことに怒り苦しみ私を殺してくる。

これからもそれは続くし簡単に割り切れないことの方が現実に多く存在する。

その波が当たるたびに私は感情を抑えず吠え続ける。

腐った果実が波間に消えて戻ってきてイライラしたりしてるが、いつかはその波間に突破口が見つかり入り口を叩き割れる力をすこしだけ持ててきた。

その一歩一歩を踏みしめ感じるたびに清くもなく美しくもなく私なりの正しさで泥まみれで生きていこう。

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