ここ半年くらい「自分がやすりで削られていく」「カサカサに擦り減っていく」「ゆっくりと失われていく」感覚が日本の恐怖映画のようなうすら寒さと共にあった。
原因はなんとなくわかっていた。
良くも悪くも「人間関係」というのは時間はかかっても私にこういう理解をくれる。
気の合う知人は私に何をもたらすか。そして私は何を与えているか。
今まで何の考えもなくに適当に受け流していた「関係の形」が言葉を知ると私を奪っていく感覚になる。

私はやはり傷つくのが怖いのだ。
だからできるだけ「孤独」を意識しなくても選んでいるのかもしれない。
大したものでもないが私自身の中で磨き上げた「強さ」がその気の合う会話が合う知人と会話するたびに細かい擦り傷が増えていっているのだ。
身の程知らずの思いあがった私の表面の薄皮がボロボロになっていく。
私は「私」を他人の目の前に出すのが怖い。
出来るだけ近づきたくはないが私はその知人との会話にも救われている。
それは還していくことは前提で手を添えることを覚悟したが、思わぬところからの射撃で心を打たれている。
他人は所詮、他人。
そして私は私。
何度も聞き知った言葉をうんざりするほど復唱して顔を上げ前を向く。
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