「やる気」の底力

ほとんど毎日

毎日「やる気」なんかなくて当たり前。

「やる気」なんてものは「いつか」出るものだと思っていたのは頭の中が年齢と一致しないお馬鹿さんの時期だけ。

それも私には「つい最近まで」あった話だ。

「やる気」なんかなくても仕事はしなくては食べていけないと脳みそは記憶しているから、動く。

突発的な事柄に関しても慌てることはあるが上手い具合にスイッチが切り替わるようにはなってきた。

もともと「お調子者のカッコつけマン」だから誰かが見ていれば胸を張る。

器用に振舞えなくても毎日が「やる気のない」私の行動が自動的にスイッチを押してくれる。

「好きなこと」に関して「情熱」を注ぎたい。

今でもそんな夢のようなことを言いながら現実を歩く。

不器用な生き方は経験することで覚えてきたのだから身体が自然に覚えている。

苦しかったことも体は覚えていて緊張が体の芯と脳髄を時々走るのは警告だ。

計画的な行動はとれなかったことのほうが多いが臨機応変な能力はそこそこ身についた。

毎日、同じことの繰り返しが「やる気」の底力。

何気ない日常が平穏であればあるこそ無意識に堪っていく。

幻でもつかむような平穏の中に「やる気」は霞のような薄さで重なっていく。

そして「使いどころ」の場面でいきなり発揮しだす。

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