私には様々な病気や症状がある。
「命に直接かかわる」とか大げさなものはないが、どう考えたって「健康寿命」を削って循環失ってきているのだから「大げさ」に考えて良いのだ。
どう考えても何十年と「自分を大事に扱ってこなかったツケ」が回ってきているのだ。
大小関係なくふとしたきっかけであちこちに痛みが走る。
ないがしろにしてきた分以上の「後払い」はお金も時間も奪っていくが今はそんなひとつひとつをきっかけに心情が変化していく。
私の身体は異変の警報を出し続けていたのに無視してきてしまって本当に申し訳ない。
私は私に頭を下げ丁寧に対応する。
心の浮き沈みもそれに同調するので見逃してはならない。

痛みは我慢するもの。気合で治る。
そんな世代でもあった私はどうしてもその考えに陥りがちだ。
まだ振り払えないそんな考えとともに生きていくのは困難というより悲しい。
けして裕福ではない家庭で育った私は「病気・病院」にすぐいける環境ではなかった。
小中学校の時は「風邪をひいて休んだ」記憶なんてほんの数回しかない。
育った環境はその後も影響を与えるのは一部私の中では本当で「具合の悪い時大事にされなかった」とという思いはいつまでもある。
いつまでも「そのせい」にしているのは「言い訳の逃げ場」が欲しいだけなのだ。
当たり前だ。
「今」の私のチカラの背骨を支えるのは「そんな幼いころの私」でもあるのだから記憶しておくのがよい。
今、私は「自分の心のチカラ」が試されている時期なのだ。
そう思ったほうがなんとなく「前向き」に縛られていてそれなりに心地よい。
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