下限のわからない負荷

ほとんど毎日

贅沢な「思い」なんだと感じる。

もう少し生き方に尖がっていたいのだ。

年寄りと若者の特有の「頑固さ」のような世間に甘えた感情だ。

恐ろしいほどバランスが取れないこの気持ちに、どう決着つければよいか悩んでいる。

最後の手段は「ここから離れる」ことだ。

「答え」は出ているのに「そこまで振り切る勇気」がない。

悔しいけれどこの甘えた感情ではどこに行っても私は振り出しに戻る。

なんて鬱陶しい。

他人にかまっているほど猶予はないというのに私ままた「良い人のふり」をしようとしている。

やっとつかんだ生きるための処世術にすがっていたいのだ。

今の私では何もまだ始まっていない。

毎日踏み出しているつもりで後ずさりしていることぐらい気が付いている。

吐くほど悔しいこの気持ちを整理する場所を探している。

そしてわかるのは今「調子に乗っている」だけなのだ。

思ったより前に進んでいる感覚が不安で不安で仕方のない状況に「弱気」な私がのっぺりと現れる。

そんな「臆病風」が身体中に張り付いている感覚はあるが足元はまだしっかりしている。

よくやってきた私。

しっかり二本の足が地に着いている。

つじつまの合わない毎日の感情と不安定な精神なんてものは生きていく中では必要不可欠な要素だ。

それが毎日の私を作り「たぶん」成長させている。

限界の幅は広がってきているはずと、また根拠ない想いを胸に笑いがでる。

注意が足りない歩みを止めないで行ってみようじゃないか。

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