ぐらついている足元を季節のせいにする

自分の行動を無性に無条件に「疑いたくない」時がある。

そりゃあ「すべて」の行動が正しいと思ってはいないが実感が手ごたえが感じられないとやりかたが「間違っている」のは理解できている。

ただその「間違った」やり方のままでずっとのんべんだらりやっていることに疑問を持っていても「そのまま」でいることのほうが多い。

それではなんの成長もない。

ただ行動しているだけの馬鹿なのだ。

確かに「過程」は大事だし「結果」も針の先ほどは出ているが劇的に変わる瞬間でも夢見ているのだろうか。

いいじゃん夢見ても、こんな現実に夢も希望も忘れてしまっては生きていけない。

そういって凝り固まって柔軟性がないモノの考え方と行動にしがみつき爪を研いでいるかのように見せてただ醜く太っているだけのように感じる。

なにか「きっかけ」を探していることは確かだ。

後押しをするようなブースターを探し続けていることは確かだ。

なぜ迷っている。

根本的な「自信」がないからだ。

根元が揺らいでいるものに何度行動を繰り返してもつくはずもないと頭の隅でわかっていても行動を繰り返す。

いつも夢見がちな少女はそのまま大人になって老人になってしまい「絶望」が大きかった経験を土台にしてしまっている。

その「絶望」を補修するために私はもう何年もこのままでいなければならないかと思ってしまうといたたまれなくなるから「疑いたくない」のだろう。

もう一度ぶっ壊したほうが作りやすい。

もうそろそろここではなく他のどこかへ行ったほうが自分のためになるような気がしてならない。

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