沈黙する気力への希望

ほとんど毎日

「今日は私の日ではない」

時々「気楽にいこうぜ」と私が私の背中を叩くが、すぐに消えて無かったことのように気持ちが落ち込む。

こんな日は「私の日ではない」と思い出したよう上を向く。

こんなことの繰り返しで毎日が出来ていて、積み重なった「上向き」の気持ちが多くあるから足を進められる。

いや、本当に小さなことのクヨクヨをほったらかしにせず見つめ直して棚に置いていく作業ってのは大事だなと思う。

溜め込んだ沈んだ気持ちをなあなあにし妥協点も見つけられないまま過去の私なんかと比べてみると「今の私」は大したもんだ。

こうやって私自身の褒めポイントを自覚して増やしていくことも「今後の私」につながるからだいぶ良い方向に進んでいる。

ずっと萎縮して暮らしてきてしまった私は消えないし「さよなら」もできないが、手をつなぎ寄り添えるようになったのは大きい。

「今更」なんだとも思う。

この年齢になって「遅い」とも感じることはやっぱりあって「もっと早く自分軸を持てる人間になりたかったな」とは感じる。

だが夢のために東京に出てきたときは「根拠のない自信であふれ、自分を信じていた」ことは確かだったからやっと「掘り起こした」「元通りになった」に近いのかもしれない。

「うぬぼれ」て自尊心が突出しすぎることもあるが、これくらいで良いとは思う。

まだ間違っていたら素直に謝れているからだ。

重く苦しいせわしない現実の中に「私」をどれだけ見失わずに生きてられるかなんて私にもわからなかった。

今は様々なの取り込み「合う合わない」を決めている状態だが妙な宗教染みた考えだなとも客観的にもとらえられているし「なんとか」やれているんだろう。

「この先」なんてまた判らない。

ただ「私」を失わないように守ることは必死でしようと強く思う。

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