「今、私は何をしているんだろう」
そう思いながら生きているのが「私の生きる道」なんだ気が付く。
無駄だと思うことを考えて貴重で大切な時間を過ごして1日をやり過ごすのが私なんだ。
なんとなく分かってきた。
何も成せないことがつらく悲しいことではなく、何もしないでじっくりと1日私だけのために生きることが楽しいんだ。
私は充実しているんだ。
すごくすごく日常が充実している。

だらだらしている時間がほんの数分でも何時間でも「私」をという存在はいつも「学び」続けているのである。
今日、息しているだけで「学びの宝庫」の空間で生きているのだ。
そして思い出す。
昔の青臭い愛ばかり語る若いころの純粋で尖った黒歴史の破片がちらほら見え隠れする考えが今よみがえっている。
これで良いのだ。
これくらいで良いのだ。
馬鹿みたいに突っ走るには「若いころ」の未熟で何物にも染まっていない「私」を引っ提げてぶん回して走っていくのだ。
「可能性のかけら」を自分で信じたあの頃の気持ちで良いのだ。
ついていけない身体のことはどうしようもない。
「生きること」を戦ってきた身体をねぎらいつつ私は毎日気づき忘れる日々を暮らす。
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