取り繕う上辺の演劇

ほとんど毎日

そもそもなぜ「こちら側」が気を病まねばならないのか。

そんな場面が幾度となく私の周囲で起こる。

かつては私も気に病んだし、今でも私自身それに面と向かう。

さすがに「こちら側」が悪かったと思える場面があるのなら頭を下げることぐらいはできる。

何でもかんでも「こちら側」が謝れば済むと思っている状況と立場を利用して人間たちには殺意しかない。

極端な話だがそれらは「ゴミ」なのだから同族の私らが処分しても良いはずなのだ。

残してはいけない遺伝子なのだから。

そんなことを思いながら「危ない危ない」とつぶやきニヤニヤしながら頭のおかしい人を装う。

そんな人たちを見ながら「反面教師」といえば聞こえは良いのだが私もいつだって「あちら側」に行くことだってあるのだ。

それはほんの些細な「きっかけ」でおこる。

かといって他人の地雷を踏まずに生きていくなんて到底「無理」な話。

だから私は私の良識の上で判断して歩く。

道徳とか習っていても理不尽すぎて身につかないことは私が判断する。

だから日々大小関係なく「私が決断した」という力を添えていく。

悲しいことに世の中は理不尽なことだらけだ。

筋違いな場面に遭遇し一瞬ですべてほ判断して「私がルール」というのを前面に押し出さなければ「こちら側」が気を落とす。

だから知識と経験は必要なんだと私の中ではそう思う。

中途半端に場数だけ踏んできた私は苦い記憶とともに「あちら側」と対面し怖気と、そして私自身と対処することになるときはスイッチが簡単に入る。

最近は「あちら側」が怒っていると「こちら側」が「笑いのスイッチ」が同時に入ってしまうので気をつけねばなるまい。

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