認識する足取り

ほとんど毎日

私は私一人だけのための私だけの「答え」を出すためのステップを踏んでいる。

私の行動はよく「間違う」

特に「お金」を稼ぐための行動に関しては「無欲」とかではなく前置きに「私だけのため」とか言ってはいるが、ただの真似をしたくないプライドが高い馬鹿だと自覚はしている。

この数年は何か行動するたびに「発見」を私に落とし込めてはいるが、その前の私と言ったらだたの「生きる屍」

何をしても「時間つぶし」「暇つぶし」で「学び」がなかった。

ただ「時間をつぶす」にしてもそこにはなんらかの私にとっての「理由」があったはずなのだ。

身体が疲れて心が疲れて何もやる気が起きない。

この「理由」さえも浮かんでこなくて休日の夕方になると「私は今日一日何をしていたんだろう」という悲壮感にあふれ返る。

涙も出なかった日常が今は感情豊かな日々へと変化している。

私自身なにかを成し遂げる「目標」があるわけではなく「今日一日の充実感」が得られれば満足なんだと思う。

そこにはただ「仕事をした」だけじゃなく「そこにいる私がこの仕事に対してどういう立ち振る舞いができてるか」を乗せるだけでまた違うのだ。

気に食わない奴もいる。頭のおかしい人間にも絡まれる。

そんな職場に「何の意味もない」が「面白味」を入れて調理していくのは私だ。

「意味つけ」ということなんだろうが、そこに「私」があるかどうか何だと思う。

たったこれだけのことと思うかもしれない。

私にそれが無かったのだから大きな進歩なんだ。

たとえ借り物の考えや思いだとしても行動しているのは私。

その「答え」が確実に私を強くも弱くもし顔を上げて前に進む原動力。

いまはそれが確認できているだけで日常のモヤモヤは一旦吹き飛ぶ。

それくらいで良い。

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