濃い影の中の記憶たちへ

ほとんど毎日

「楽しむ」ことに注目すると肩の力が抜けて楽になる。

すべてではないがそう「見ること」で私も凝り固まった考えがだいぶ柔らかくなったと感じる。

「絶対正義」が私の中であった時期が悪かったというわけではない。

「若さゆえ」にまとめてしまうのも私を否定しているようで悲しくなるし「柔軟さ」を含んできた今も「歳をとったから」という言葉に行き着いてしまうと引っ掛かりがある。

そうこれが「私」なのだということを忘れないようにしたいのだ。

いろいろなことを考えて思うのは「私」を確認する作業。

安くも薄っぺらくもない。

行動し続けると光が見える。

あの頃は全く見えなかった光が老いてからだというのが残念だということは本心だ。

だからこそ「今」出来うる限りのことをしたいのだ。

身体は常にあのころとは違う「休み」を求めているから、その休憩を取りつつ「私」を生かしていきたい。

私、私と何度もうるさいくらい書き込むが、それほどまで「私」に執着して逃さないようにしっかりと感じていきたいからだ。

私自身が誰かを照らす光にはなれないが輝きは見つけられているはず。

誰かの手を引けなくてもいつでも私自身を助けられるようにはしたい。

「楽しむ」ことでその手引きが見え隠れしている。

笑顔で入られる私を手に入れるために今日もベットの上で寝過ごしていることを責めない。

傷だらけの天使

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