私の顔の側面と一面

ほとんど毎日

私は「一人で行動する」ことが好きだ。

なんの気兼ねなく気も使うわけでなく「私のペース」で次のタイミングを作ることが出来るからだ。

あれだけ「集団の中にいる私」を見つけようとしたのに結局は「人間最後は一人」ということはとうに身体が知っていて無意識にも意識的に他人を拒絶してきた。

あのなじめない「孤立感」は半端なく苦痛だ。

なぜそんなことを求めたんだろうと思う。

私は「多人数」が嫌いなだけで「二人」とかなら許容範囲内なのだ。

必ずしも「他人」が嫌いなわけではなく「大勢」が嫌いで人間の古来からの「集団生活」に否定的だ。

田舎の懐古的な考えが嫌いで東京に出たが、どこに行っても「集団」であることは避けられなかった。

数は脅威。

それを本能的に知っているから拒絶してきたんだと思う。

弱いものは群れる。

そんな漫画の一言も信じて生きていたんだと思う。

私はこういう性格だから幼いころから「いじめられる側」だった。

記憶が誇張されている部分もあるが特に異性からの精神攻撃は半端ではなかった。

私はまだ同性の友人が少なくともいたから何とかやれていたが、いなかったらぞっとするような展開だったと感じる。

今なぜそんなことをまた思い出すのだろう。

私もいい歳だからあの頃の奴らの行動を許して生きて行けということなのだろうかとは微塵にも思わないのに。

ますますそんな記憶のおかげで「怒り」に薪をくべる状態になるというのに。

それを「情熱」に変えるほどの胆力を持てということかなんてこともないのに。

何にせよそこには「否定してきた私」もいるし「否定され続けた私」もいる。

受け止める時が来た、見つめる時が来たと思えば天啓。

今の私にはただただ「嫌な記憶」がよみがえっただけの今日であるにすぎない。

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