過剰な考えの結末

ほとんど毎日

頭に血が上ることがある。

「命」を軽く見過ぎている時だ。

昔の私は「命を諦めていた」が今の私は「命の保身」に走っているのもそうだが「目の前の命」は「一定のルールで見捨てない」と決めているからだ。

「行き過ぎた心配」なのは理解できている。

些細な事、大したことない、みんなできているやっている、考えすぎといわれることが大事故につながることだってある。

なぜこんなことに怒り狂うのかわかって欲しいからと思って行動しても伝わらない。

私の伝え方にも問題があるのだろうが「誰にでも災難は突然予期せぬところで降りかかる」

いくら予想したって安全である足元の板は突然取り払われることだってあるんだ。

どうせ鬱陶しいと思われてなあなあにされてしまうのが世の中。

声を上げても遠巻きに変な人扱いされていく。

もうそういったことには慣れていく。

だから最終的には「自分の身は自分で守る」になる。

その前に私は出来るだけのことをしようと動く。

なんの疑問も持たずこちら側が「受け身」になる私の中の時代は終わった。

充分ではないが私もそれなりの知識はついている。

あらゆる場面での危険を予想は出来ないが対処はそれなりにできる

いざというときの行動力が試される時期だ。

その時になり死人が出たときは「ほら言っただろう」しかならないし「責任転嫁」してくるだろう。

相手の喉笛に噛付く準備ぐらいもしている。

ぶっ飛んで行き過ぎた私の感情が吠えているのは、変なところに優しすぎた故だろう。

落ちるのは簡単だから、とことん落ちてやる。

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