行動した後の「もどかしさ」
ああすればよかった。こう言えばよかった。
こんなことは私の中では珍しくない。
やり直しの利かない場面に多くを求めすぎるとこうなる。
これで良いのだ。
私の力量不足はしばらくは引きずっても、たぶんまた前に進むように出来ている。

賢い人間には何が見えている。
あの場でどんな景色が見えている。
今更そんなことを思っても、どうしようもない。
そしてどうしようもないくらいあの瞬間を思い浮かべて「後悔」の箱に入れている。
そうしているのは私だ。
なら行動したことが大きな結果が得られなかったことに嫌気を指しても、その結果で何年も動かなかったことに注目しろ。
「黙っているのが正義」だったり「賢者の沈黙」だとしても私は行動した。
この世に行動したものを批判する習慣があるから、こんなにも気が滅入るのだ。
私も他人も生きているうちは本人の中の常識と常識の戦いなのだ。
「常識」という言葉好きではないが、その場で相手が吐いたその言葉が引っ掛かりざらつく心がまともに前を見れず奥歯を噛んでいる。
まずよくわからない答えに今すぐ答えを出す必要もないのだから、ひとまず棚に置いておいて動画を観ながらコーラでも飲もう。
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