天気の良い日に出かけると、その一瞬一瞬に「自分の命」を感じたりする。
今日この日は明日来ないのだ。
目の前を流れる景色はなんて美しいのだ。
おかしなくらい「大げさ」に振舞いたくなる身体を抑えている。
不格好にしがみついてきた「生」がこんなにも輝いていくとは思わなんだ。
私は私の中にある輝き気が付いてやらなくてはならなかったのに、なんともまあ悲しい生き方をしてきたのだろう。
しかしこれは「否定」ではない。
この景色を見て感じ取るために私は今まで生きてきているのだ。
夏が始まる。
生命の息吹が聞こえるようだ。
頭がイカれても、今日の日を思い出せるように生きていたい。

今朝はこんなはずだったのに部屋に帰ってきた瞬間に電池切れをおこし落ちてただひたすら寝た。
真夜中に起きるとそんなことを忘れてただひたすら日々のルーティンを守ろうとしたが、ベットから離れることなく横になっていた。
徹夜明けのお出かけなんてのは、こんなものだろう。
「晴れの日」が背中を押しワクワクさせることは間違っていないがタイミングがずれるとただの疲労である。
歳も歳だし、こんなことをむやみに行ってはいけないのは重々承知はしているが、脳みそが爆発する癖のある私は「思い立ったが吉日」を発動させてしまう。
そして思うことは「いずれこんな風に動けなくなる時が来るのだから、動けるときに動け」
悲しいが年々「衰え」は感じている。
はつらつとはいかないが、私はまだ行動できるのだ。
見たい景色はいつだって目の前に広がるはずだ。
だから私は心のままに動けているうちは、多少の無茶はしたい。
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