哲学者気取りの無学者

ほとんど毎日

毎日を不甲斐ない時間を過ごしても笑える時間がある。好きなものに一時的でも熱中できる時がある。

それだけでいいんじゃないかな。

私には充分過ぎるのではないのかな。

そう思うと肩の荷があることがわかる。

何を一生懸命に意地はって血まなこになって怒る必要があるのか。

息を整える前に私を整えていく時間を作ろう。

正しい間違いに執着した一つの答えが今ここに出る。

けれど明日になれば欲にまた支配され我を忘れる瞬間が強く印象に残り記憶が塗り替えられる。

この繰り返しが私を創っていく。

まだまだ魂が試されているのだと思いながら、訳わからないことでごまかすなと批判が入る。

私自身が素晴らしいと大手を振っているよりも批判しているほうが楽だから偏るのは仕方がないことなのか。

もっと私を愛せる材料はないのか。

それを「外側」に求めていないか。

私の中からこみあげてくるものに私は素直に答えてあげられているか。

なんの疑問も持たず生きることなんてもう耐えられないとこにまでやっとたどり着いたのだ。

当然まだまだ上は見えない。

上っていきたいという意思があるのなら、足を止めても後ろに下がるなと私が言っている。

なんともまあ目標も定まらないのに上昇志向というか向上心というか「根拠のない自信」が大志を抱いていた。

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