縁を切るべき人の特徴とか勧めてくるけど、その後の処理が重要

長文

不要な人間関係はさっさと切るべきだ。これには賛成できる。ここ二年はこれを実践しているので特に問題はない。

問題はそのあとだ。職場の人間などサクッと切るのは、かなりのメンタル鋼の持主でないとこれはやって解決には続かないのではないか?と感じる。

一部にはさらっと交わして笑っている方々もいる。もともとそれが備わっている人は無自覚でかなりあこがれる。自分自身に自信がある人はそんなものは気にしない。経験から学んでそれを積み重ねていける人もいる。だがそれが簡単にできるなら苦労はしない。

私はいらないプライドが多かった。誰からも好かれたいという卑しい気持ちが前に出た。だからくだらない縁に気を使って自分が死んだ。

ほしい答えはその後の対応だった。

私自身は移住がきっかけとなったのだが、ここまでくるには長い年月がかかっている。

自分に自信が持てたわけではない。むしろ自信がない自分を認めたからだ。

自分には特別な力はないし、やればできる人間ではなかった。何事にも無気力になり世の中は結局自分の思う通りにはならない。

それでもどこかうぬぼれた生き方をしてきた自分が自分の足を引っ張っていただけだ。

ただそれだけの事。弱い自分自身を認めてやればよかっただけなのだ。

それは面白いくらい行動的になった。

自分で考え行動する。他人の意見に左右されない。ほしいものは自分で見つける。やりたいことはやってみる。

少しずつ少しずつ焦らずやってみた。続けられないことも多かったが私自身その行動に移せたことが何よりの励みになった。そしてまた新しいことにチャレンジできるようになってきた。

もちろんお金は多少かかる。自分ができる範囲内だ。それもちょっとずつだけと予算は抑えられるようになってきた。あれだけ散財してきた自分が本当に馬鹿に見える。

「できない自分」が少しずつ「できる自分」になっていくとおのずと自身はついていき、他人がじぶんのことをどう思っているかお構いなしになってくる。

それが職場でのくだらない縁を切るきっかけとなった。

そしてブログとは言えないがこの場所を作ることができた。

だがまだまだ職場では切らなければならない縁がある。未熟な自分はまだ恐れている。吐き気はするが楽しんでいる自分がいる。

もっと自分勝手でいい。その限度は自分が決める。そもそも失うものなんてないじゃないかと開き直る。

他人に自分自身の存在を認めさせるのではなく、自分が自分の存在を認めたようなわけのわからない気持ちが自信というなら良かったとしか今は言いようがない。

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