人情と距離感のバランス

ほとんど毎日

私には「他人を頼る」という選択肢が初めからない。

完全に「プライドが高い」のと変なところに「自己評価が高い」そして完璧主義で自己責任の権化のような部分がある。

過去の経験でそれがますます重症化してしまい「他人を信じる」ということが真っ向から出来なくなっていることは確かだ。

それでも今は「他人との小さな信頼の積み重ね」を続けていくことは大切だとは思ってはいて「好意」が伝わる人とはつかず離れずの交友はここでは続けたいとは思っている。

「どっちつかず」の私でありたいのは善か悪か。

私も多少は人情味があるのでそう振り分けることは「決断の優淳不断さ」をできるだけなくすこと。

そして私のような頭の固い頑固者には柔軟性のある目線でいたいというのがあり、それが「公平性」につながると感じている。

私の場合「感覚派」なのでやってみて思っているだけなのだか、それで嫌われるようなことがあっても気にしない。

けれど長くいる場所では「甘え」がでて「ゆるみ」がでて「惰性」も含みはじめ人間関係がますます億劫になるという繰り返し。

そして昔の「良い人に思われたい」という部分もひょっこり現れ関係が怒りに変わっていく場合もある。

私の芯や軸が無くなる感覚は出来るだけ避けたいので「他人を信じない」というのは初めから持っている選択肢だ。

それでもこれを私の「正解」にしていくのは少々無理があると思っていて、いままた新しい答えを探し出そうと思って動いている。

他人とは所詮合い慣れない、上手くいかないのは前提。

関係のすり合わせは「会話」がやっぱり大事だと思う。

果たしてそれが私にとって良いのかどうかとなれば「会話」は根本的に苦手なので「吉」とは出ないだろう。

「凶」でも行きつまるところの壁は「私は私」であるためにやっていく。

44歳、おひとり様で生きている。だがひとりで生きていく覚悟は無い。: ちょっと泣いて、ちょっと笑って、今日もなんとかやってます。

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