「弱さ」の成長過程

ほとんど毎日

物事の「すべて」を当たり前と思ってはいけない。

私はこれを忘れてしまっている。

「感謝」を忘れてしまっている。

寝るところも食べることも「いつまでもある」とう保証はない。

高校卒業してから何十年と誰とも暮らしたことはなかった。

だからといってそれは「理由」にはならないし、同じ環境で育った兄弟姉妹が「私のような」人間ではない。

身近な存在に感謝する行為に対して多々「人情」が欠けているところ多くはあるが今は「演じる」ことによってだいぶ補われてきた。

「私の中の人とのすり合わせ」が大いに面倒なだけで自然に行えるようにまではなったとは思う。

「人類みな兄弟」のような博愛主義者にはなれない。

好きなものは好きだし嫌いなものは嫌いで良い。

「好きなもの」に夢中になれる心があるのなら自信をもって胸をはって「嫌いなもの」を堂々としておけばよい。

そしてそれを前面に出して「押し通すこと」はただの傲慢だ。

私は人と人との「摩擦」が生まれたらそのままにしてきたタイプだ。

「人とのつながり」は「言葉を選ぶこと」だ。

だから言葉を知らなければとは思う。

まだまだ足りていない私を成長させるのはやはり「周りの他人」で取捨選択をしながら大事にしていくところは大事にしていきたい。

私という生き物は一人では何もできない弱虫なのだ。

それを心に確かめていくことは悪いことではないはずなのに、何か崩れていくようで怖い。

「自分の弱さ」が拾えてきているはずなのに「不必要な自尊心」だけは一丁前な情けない老人に成り下がる。

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