ぼやける核心への問い直し

ほとんど毎日

「アイデンティティ」という言葉が頭の中に付きまとっている。

横文字などわかりにくいし自分で読み解くにもいまいちピンとこないが「自分が何者であるか」という答えには「私は私」としか言いようがない。

と思うがそれは側面であって「ここにいる」という証明は私でなく他人がするもの。

「存在証明」と他人に預ければ「私」の輪郭は曖昧になる。

そして昔よく仕事の上司に注意された記憶がよみがえる。

『「自分は頑張っている」というのは自分で言うのでなく他人があなたを見て言うものだ』

その言葉はずいぶん私を縛り付けた。

『たとえ障害だったとしても、それに甘えて生きていくのか』

続きとしてこうも言われた。

「私は私」といえる今ではその言葉に疑問や違和感を覚えるが、当時はそこそこブラックな労働環境だったし仕事が出来る上司に「憧れ」てもいたから洗脳に近かったのかもしれない。

ただ今それを思い出して、これを頭の中で繰り返すのは何なのか。

昨日の続きなのだが名古屋からの帰りから強く感じている。

たぶんこの何も計画しないで行動した行き先が「いつもより」遠くの場所にあったから引っ掛かっている。

「自分探し」

そんなのは行動範囲がもっと広がり動ける若いころにやってればよかっただろうし今は「ここで」見つかっているのだから突き詰めるのも選択のひとつ。

そんな生易しい感じではなく、過去も一緒にえぐり出してくる。

はて、そんなに悪い旅だったか。

良くも悪くもそのうち私への影響は出てくるだろう。

変わるとしたらすぐにではなく徐々にだろうし、変わらないかもしれない。

「言葉遊び」のように皮肉が入り混じった時間がただ単に繰り返し脳に刻まれている気もする。

また今すぐ答えが出ないものが私を揺さぶってくる。

今はまだこの移り変わりを心にとどめておこうと思う。

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