それでも感じ続けることの意味

ほとんど毎日

それは「無駄なエネルギー」を使っているのではないかと思うことは多くある。

特に「他人」に対してである。

私は根っこの部分にあるのは正論好きの正義感が強い性質だ。

今は「正論」が「正義」ではないことぐらいは知って言葉を選ぶようになりはしたが「自分との関係性」がこじれていく。

世の中のすべてが道理で片付けられないことも何度も何度も経験したが「理不尽」で心はいつもざわついている。

図太く鈍感さがなければ世の中なんて渡れない。

そんなことも思いながらも私の奥底に眠る気持ちを大事にしてきたんだと感じる。

「正しさ」と「人間らしさ」の間で私は一体何を学んできたのだろうか。

人としてどうありたいか。

間違ったものを見逃すのは自分ではなかったが、暴力によってそれは他人に支配された時期がある。

人生の部分部分に様々な形で制御され自分を見失い何度も死にかけている。

今一歩「踏み込めない」自分がいつでもそこに在り中途半端に出来上がる私。

それでも「他人」に対して思うことが多くあり「無駄なエネルギー」を使っているのは「諦めきれない優しさ」を探っているのだ。

他人など本当はどうでもよいと心から思えたらどんなに楽なんだろう。

他人と関わらなければ生きてはいけないということを知ってしまった私は私の「人間らしさ」をどう扱っていくか。

学ぶ時期なのか諦める時期なのかはわからない。

まあとりあえすまだ生きていこうとは思う。

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