私自身「品性方向」な人間ではない。
日々「酷い言葉」の羅列が口から頭から駄々洩れている。
「恐怖の裏返し」なのは理解できるが止めるつもりもない。
「感情の開放」が私を良くも悪くもして「今」の私を創り上げていることは確かだ。

物事を「勝ち負け」で振り分ける人間が目の前にいて、うっとおしい。
私もかつてはそうだったから、わかる。
「漫画家になる」という人生をかけた大掛かりな勝負に負け「女」として結婚もせず子供も産めない「負け犬」になり多くの型から外れた。
人間として成長したわけでもなく「死」に直面し他人と比較してみじめな生き方を長い間してきた。
そうやって私自身もしっかりと「負の言葉」をレッテル張りをしては安心を得ている。
そんな部分を持ちながらも私は「今」を生きることの素晴らしさをようやく見つけだし進んでいる。
「あの時、死んでれば長い間を苦しまなかった。あの時、死ななかったから今がとてつもなく楽しい」
私の中にある「矛盾な構造」が推進力を補っている。

今も保証やお金がある恵まれた立場ではないし、現実を見ながら日銭を稼いで細々と暮らすには老体には不安でしかない。
「一人の人間」としてほんの少しの「立て直し」がたまたま上手くいっただけ。
人間としてその数えきれない決断の中に整合性がほんの少しづつ出てきて誰のものでもない道を歩く。
「弱さ」をほんの少し受け止めれたことで私の世界は変わった。
傷つき、迷い、折れる。
それが「勇気」と呼べるなら私はそろそろ勇者になるときだろうか。
怒りも、後悔も、喪失も、誇りも混ざり合う。
私は私の詩を紡ぐ。
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