葬式という最後の祭りは、残されたもののけじめか見栄でわかれる

長文

若いころは結婚式によく呼ばれていたが、歳をとるとそれが葬式に変わるのだと体感する。

多くはないが私も様々なお葬式に参加してきた。

そして自身の葬式はできるだけ質素にしてほしいと思う。

私自身、子孫を残しているわけではない。亡くなると近々の身内を含め他人様にご迷惑をおかけすることとなる。

葬式という私の最後の祭りは、さっさと燃やしてすべての縁を切る無縁仏に放り込んでほしい。

私のような人間はこれ以上増やさないでと願う祭りであってほしい。

ここで一番思い出深いお葬式を書いていこう。

義兄と実姉はとある温泉街で居酒屋を経営していた。始めた当初はカウンターも含めて十人やそこらだったが、そのうち軒を並べた隣の店が閉店などし増改築し、詰めれば50人ほどの宴会もできるような店になった。

経営は順調で何年も過ぎたころ、義兄が病気になった。病気の内容は伏せておくが7年近くの闘病の末亡くなった。

私は訃報を聞きすぐ下の妹と準備をして新幹線で通夜を行う義兄の店に向かった。

ドアを開ければ宴会かと思うほどの騒ぎだった。

姉と一緒に近所の人たちがお手伝いとともにお酒も料理もふるまいながらも騒いでいる。間違いなく通夜の祭壇は店の座敷に用意してあり義兄も布団に横たわっている。

だが祭りなのだ。粛々とした雰囲気もあるがその地域の偉い人が酔っぱらいながら仕切り、思っていた通夜の暗い感じは全くない。ほとんどの人が居酒屋の店主なのだから酒飲んで笑って送ったやろうと思っているのか、にぎやかなのだ。

私たちも当然その勢いに巻き込まれる。弔問してくる人も知った顔なので酒を進め思い出話に花を咲かせ笑って明け方近くまで飲んで騒いだ。

次の日の菩提寺に向かう時も酔いはほぼさめず、葬式中はおとなしくしていたがそれが終わると隣接してある火葬場に向かい待機所でまた皆で酒を飲む。

骨を拾い終え納骨は当日済ませまた皆で店に戻っては飲む。その後は飲めや歌えや踊れやで朝まで宴会が続いた。私はさすがに途中でダウンし抜けたが妹は酒が強いので最後の最後まで盛り上げていたそうだ。

これは「けじめ」なのである。

生きている人が残された人が、故人を亡くなった人を見送るための儀式はけじめをつけるための一線なのだ。

その形が経緯はどうであれ式はしっかりとやるべきなのだなあと感じる。

何度も言うが私の最後の式は、すべての縁を切りどことも繋がらないところへと逝きたい。

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