人がよく入れ替わる環境で長く働いていると、人との出会いは「一期一会」だと深く感じることがある。
長い人生の間で一瞬でも「気の合う人」と巡り合えたことは充分に価値があることなんだろう。
「またね」と言いながら、もうきっと会うことは事はほとんどない。
それでも「あの時間は楽しかった」と思えるほうが大きい。
それは「今の私」が余裕があるから言えることなのかもしれない。
もちろんもう一度会えたとして、そのころには私も相手も生活や心境が変わっていることのほうが多いのだろう。
あの時感じた楽しさは、私がここにいて相手がここにきてたから成立するものだとも感じる。
次に出会った時に、良い思い出のままの印象で会話してしまうと行き違いが起こる。
「人間関係」を完全に無償なものとしてとらえるほうがキレイごとに感じる。
私は自分にとって心地良い人を求めるし、自分に害をなす人間からは離れる。
それが生きるための「自然な摂理」だ。
私は自分勝手な理由で誰かを好きになる。
それでも別れた後に「あの時間は良かった」と思えるのなら「打算」の中でも「確かな縁」はあったのだ。
「格好つけている」「冷めている」「達観している」のではない。
それが私なのだと思う。
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