「良いところ」と「嫌いであること」は両立する

ほとんど毎日

私は人間を「ひとくくり」にする。

雑だと言われても知らん。

私は私の経験から、そう感じて「答え」を出している。

それでも「人間関係」の現実は、その雑な認識を持ったまま目の前の人間と付き合う。

「そんなの人による」という「個人差の正しい認識」に強制する必要はなくて、個人的な感覚を禁止されるような謂れはない。

そもそも他人を「公平」に見ている人はいるのか。

過去の経験、好き嫌い、相性、性別、見た目、話し声、雰囲気などなどの雑多なことが込み込みで「判断」しているんだ。

正当に正確に評価しなければ。

なんて思っていたら人間関係で疲労困ぱい。

「その人にも良いところはある」なんて見方を崩さなかった私の若い頃なんかはそうだったから気が付かずに落ちていった。

「もっと理解してあげなければ」なんてそればかりに意識がいって「私は何が嫌いだったか」を見失ってしまった。

人を理解することは一生懸命だったけれども「理解したうえで離れる」という選択肢を持っていなかったのだ。

あの人にも良いところはあるんだろうけれども、私は嫌いです。

私は私の嫌いを無視したり無かったことにはしません。

円滑に過ごすことはすべての「善」ではない。

自分の気持ちを素直に感じて「立派な大人」を演じることはないと私は思う。

こうして度々「言葉」にしていかないと私は簡単に揺らぐので何度でも書き記そう。

やさしいがつづかない

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