ここでは「学歴」という差別を題材にしていこう。
これはあくまで私が生きてきた狭い世界で感じた「持論」だ。
過激だろうがそう感じてしまったものは、そう経験してきたものは仕方がない。
私の最終学駅は高校卒業だ。その当時は言われたから高校に行ったという記憶だ。
根拠のない自信にあふれていた私は「学歴など関係ない」とおごり高ぶった考え方をしていた。
若さゆえの無知を大爆発させていた。
しかし社会にで職を転々としていると、馬鹿でも気が付くことがある。
「学歴」だ。
20歳代は借金まみれのお調子者だったから、フリーター時代は体力はあるので体を使う労働を何個か掛け持ちしてやっていた。やはり店長やオーナーなどの責任者は大学卒が多かった。
本格的に実感してくるのが30歳代からである。
サラリー時代は嫌というほど格差があった。その上資格専門職でもあったからその差はどんどんと開いていく。
もちろん給料のことだ。
今でも強烈に印象がある格差は本当に心から打ちのめされた。
当時勤めていた先は小さな商社で私は主に技術職だったが女性がいなかったので掃除や電話受付、お茶出しとうの雑務も加え、時には営業挨拶や見積もりなども行っていた。
作業量はとてつもなかったが「仕事している自分が好き」症候群なので変な人間の絡みさえなかった充実していた。残業代もあったので基本給18万のボーナス年2回1か月分は高卒無資格者の私にとっては良い待遇だったと思う。
そして問題の対象者は私の二年あとの途中入社だった。関西の有名国立大学出身で卒業後10年フリーターだったところにコネで入社した年下の男性だった。
この人との優遇差がひどかったのだ。
会社近くのマンションの一室を会社名義で借りた上引っ越し代等も出していた。さらに家電一式も買い与え中古だが車も用意していた。
そして基本給が私の2倍だったのだ。家庭があるならまだわかるが独身だ。
その商社に必要な資格があるわけではない。私と同じ立場の技術職で入った。男性というだけで国立大学出身の重役のコネというだけでこんなにも待遇が違うことにやる気スイッチのブレーカーは一気に落ちた。
小さな会社はそういう情報が漏れるのは早い。
私は今でも低所得者の部類だ。
社会人になって資格も大検も取ってこなかった。時間がなかったわけではなく気力がなくなっていくのだ。
なにくそ根性でやれるのは人に対する悪意だけであって、自分を向上させるためには使ってこなかった。
大卒には大卒内のランク差別もあるだろうが、社会はボーダーフリーでも「大学卒」というという根強い差別はなくならないことはこれからもずっと変わらないと感じる。
もし私がこれからいけるチャンスがあるなら美術大学にいきたいとちょっとだけ思うだけだ。
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