外側と内側

ほとんど毎日

道徳と論理。

私の時代は「道徳の時間」というものがなかった記憶がある。当然、教科書もない。

生きてきた中で正義だったのは結局多勢の「外側」だったしこれからもそうだろう。

権力はいつも大人数のほうに味方したし、「内側」の個性は必要なかった。

多様性の時代と言われても根深い部分は変わらない。

集団の凶器は本当に恐ろしい。

なら立ち向かう術はないのかと言ったら、今はある。

どう行動すべきかと考えているうちに自分自身が死んでしまうのなら、傷つけられたらインターネットの海にでも放流したらいい。

世の中の「道徳」がどう動くか判断したら良いと感じる。

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